ブラスのひびき
2024年04月30日

徒然草に学ぶ(人は成長しない生き物)

 徒然草(兼好法師)は500年以上前の鎌倉時代に書かれた。枕草子(清少納言・平安時代)、方丈記(鴨長明・鎌倉前期)とともに日本三大随筆と呼ばれている。その中の第百五十段「能をつかんとする人」には、現代でもぴったり当てはまる秀逸な文がある。

 真に謙虚な人間は恥をかいている期間は「ただいま成長中!」とポジティブに考えているので、そもそも恥などと思っていない。自分を成長させるために、真に自分を大切に扱っているから、自分のことを甘やかして、結果的に大きな恥をかくということをさせない。それに反して、中途半端な人間ほど「まだ見せられるレベルじゃないから…」「きちんとできるようになってから…」といった、もっともらしい言い訳を普通に口にしている。以下のに書かれた随筆も、そのあたりを鋭く突いている。

(以下現代語訳)

 これから芸事を身につけようとする人は、とかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するのがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例はひとつもない。

 まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遙かに超えて、達人になっていく。人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。

 いまは「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることが出来るようになった。どんな世界でも、同じである。

(以上)

 古典や歴史を学ぶ意味はこういうところ、つまり自分の人生に役に立てることにあると思うんだけどねぇ…。